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鹿部町の概要
鹿部町(しかべちょう)町章の由来
4つの片仮名の「カ」で鹿部の「鹿」を表し,これを輪にして町民の 「輪」(「和」)を描き,町発展の基盤となるコンブと温泉が包まれています。
鹿部町民憲章
わたくしたちは、秀峰駒ヶ岳を仰ぎ、洋々とした大平洋を望む恵まれた自然にはぐくまれた鹿部町民です。幾多の試練に耐えぬいた先人の偉業を受けつぎ、豊かで明るいまちづくりをめざしてこの憲章を定めます。
- 一、話し合いのある明るい家庭をつくりましょう
- 一、元気に働き楽しい職場にしましょう
- 一、きまりを守り互いの立場を尊重しましょう
- 一、スポーツに親しみたくましい心とからだを鍛えましょう
(昭和54年10月1日制定)
位 置 | 北緯 42°02’10" 東経140°49’10" |
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面積 | 10.55km2 |
施設 | 中学校1、小学校1、幼稚園1、医院・診療所3、 歯科医院1、児童福祉施設1、老人福祉施設1、など |
特産品 | タラコ、帆立、ウニ、たこ、昆布など |
人口 | 4,497人(1,826世帯) ※平成24年1月末現在 |
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人口密度 | 44.19人/km2 |
文化財 | 道指定文化財:松前神楽 |
町名の由来 | アイヌ語の「シケルペ」(キハダの木のあるところ)が訛ってシカベとなりました。 |
町の木:ナナカマド
町の花:ツツジ
カントリーサイン
【3万2千年前】 | 秀峰・駒ヶ岳が存在していた動かぬ証拠が昭和60年に発見された鹿部化石林。 駒ヶ岳が噴火した時の火山灰で埋もれた木がそのまま残ったものです。 |
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【元禄13年(1700)】 |
元禄御国絵図 |
【寛政3年(1791)】 |
菅江眞澄の絵日記 |
【寛政8年(1798)】 | イギリスの船「プロビデンズ号」が測量の為に内浦湾に来航。この時の船長だったイギリス人ブロートン氏が内浦湾を「噴火湾」と命名しました。 |
【寛政12年(1800)】 |
蝦夷嶋奇観 幕吏村上島之丞が描いた数々の絵にはアイヌの人たちの生活や風俗がしっかり描いた描かれており、東京国立図書館蔵の堀田本が自筆の完成本とされています。 |
【嘉永年間(1850)】 |
南部の人勇吉がマグロの建網大謀網を伝える! 南部(今の盛岡)から来た大坪勇吉は謀路(現南茅部町岩戸)沖から常路(現鹿部町大岩)沖にかけてマグロの定置網を仕掛け、年々成果を得ていきました。 |
【安政2年(1855)】 |
南部藩砂原陣屋築設 外国船の来航が多くなった為、蝦夷地は再び江戸幕府と東北五藩によって警備される様になりました。箱館から今の室蘭周辺までは南部藩が護衛にあたり、砂原に新たな陣屋が作られました。 |
【安政3年(1856)】 | 庵原氏により函館(箱館)への近道が開削されました。
松屋岬台場が完成 当時鹿部領内だった松屋岬に砂原陣屋の出先として遠見処が築設され、外国船の湾内出入の動向が監視されました。 |
【安政3年(1856)】 8月26日 |
駒ヶ岳大噴火 |
【安政4年(1857)】 | 箱館奉行、新しい鉄銭「箱館通宝」を作りました。 |
【安政6年(1859)】 |
延叙歴検真図 鹿部村 |
【万延元年(1860)】 | ロシアの植物学者マクシモービチが日本の植物分布調査の為に箱館に上陸、駒ヶ岳の植物も調査。鹿部にも翌年に来村、一泊しました。 彼を案内していた須川長之助氏は高山植物「チョウノスケソウ」の名の元になった人です。 |
【明治元年(1868)】 | 戊辰戦争、そして旧幕府軍が蝦夷地鷲ノ木(森町)に上陸。箱館戦争が勃発しました。鹿部へは土方歳三率いる別動隊が同年12月に宿営しました。 |
【明治2年(1869)】 | 七飯町軍川(いくさがわ)から鹿部を経由して砂原まで続く「東本願寺道路」が開削されました。 |
【明治12年(1879)】 |
鹿部村戸長役場が開設。 初代戸長は高橋松之助氏。 岩橋轍輔の主唱により北海道開進会社が設立。北海道開拓のため全道38地区が割渡しを出願しました。鹿部村の山野も開拓の目的で出願されましたが入植は実現しませんでした。 |
【明治14年(1881)】 | (当時)熊泊村の常路地区が鹿部村へ合併されました。
公立鹿部学校創立。 12月17日に戸長役場を改造して、開校されました。 開校時の児童数は24名(男19名、女5名)でした。 |
【明治17年(1884)】 | 鹿部村漁業組合創立。 |
【明治20年(1887)】 | 鹿部小学校、鹿部村役場そして森警察鹿部分署が新しくなりました。 |
【明治28年(1895)】 | 前年に消防法が制定。鹿部村にも消防組が創設されました。 |
【明治40年(1907)】 |
大沼~鹿部間に客馬車が開通 折戸川、大沼第一発電所の運転開始 大沼の水を流し水力発電を行う為に、折戸川上流(字小川)に発電所が建設されました。電気は函館市街に供給されました。 |
【明治41年(1908)】 |
鹿部鉱山 明治28年(1895)に斉藤虎松らが雨鱒川の上流で硫黄鉱を発見。その後規模が大きくなり、明治33年(1900)には山本鉱山が出来ました。 |
明治43年(1910) |
大沼第二発電所の運転開始 |
【大正8年(1919)】 |
鹿部川上流、大沼第三発電所の運転開始 |
【大正9年(1920)】 |
第1回国勢調査 |
【大正10年(1921)】 |
折戸ヶ岳に忠魂碑が健立 在郷軍人鹿部分会起工の忠魂碑が折戸ヶ丘に建立、除幕式が行われました。 |
【大正13年(1924)】 |
鹿部間歇泉発見
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【昭和4年(1929)】 6月17日 |
午前10時、駒ヶ岳大噴火
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【昭和5年(1930)】 |
大沼電鉄株式会社 鹿部停車場新築 昭和4年1月に開業した直後に駒ヶ岳の噴火で大きな被害をうけた大沼電鉄ですが、翌年には噴水池や温水プールのある近代的な駅舎が新たに建てられました。 |
【昭和7年(1932)】 | 忠魂碑、現在の鹿部66番地に移設 |
【昭和8年(1933)】 |
川田男爵が折戸に東溟園農場をオープン 男爵いもで知られる川田龍吉男爵は鹿部の火山灰地の開発の為、折戸地区に東溟園農場を開き、男爵イモ、メークイン、ピーナッツなどを栽培しました。 |
【昭和9年(1934)】 |
鹿部座開業 吉太七郎が発起人となり、市街地の中心にお芝居・映画・音楽会等の娯楽劇場「鹿部座」が新築開業されました。 |
【昭和11年(1936)】 6月27日 |
昆布礁災害復旧記念碑除幕 駒ヶ岳噴火により大ダメージを受けた昆布礁の災害復旧を記念して、鹿部村に記念碑が建てられました。 |
【昭和12年(1937)】 7月7日 |
日中戦争開始。 |
【昭和16年(1941)】 | 鹿部小学校、鹿部国民学校と改称。 |
【昭和17年(1942)】 11月16日 |
駒ヶ岳噴火 |
【昭和20年(1945)】 | 国鉄砂原線(現函館本線)が開通、鹿部駅開業。 この時作られた駅舎は今だに現役です。 これに伴い大沼電鉄は廃止。 7月14日・15日、北海道空襲 8月15日ポツダム宣言受諾、敗戦。 |
【昭和21年(1946)】 | 忠魂碑を旧鹿部稲荷神社境内に移設。 |
【昭和22年(1947)】 |
戦後初の統一選挙が行われる 初代村長には吉田金次郎氏が当選しました。 |
【昭和23年(1948)】 1月15日 |
鹿部~国鉄銚子口間で大沼電鉄が復活 |
【昭和24年(1949)】 | 大沼電鉄鹿部駅が「鷹待」駅と改称されました。 |
【昭和27年(1952)】 | 7月1日 住民登録実施
大沼電鉄、再び廃止 一度は復活したものの、旅客及び貨物の減少から再び運行中止、そして廃業となりました。 |
【昭和28年(1953)】 | 鹿部村長&議員選挙が行われ、二代目村長に棟方健太郎氏が当選。 市街地に水道管が布設されました。 |
【昭和29年(1954)】 | 洞爺丸15号台風で深刻な被害 |
【昭和31年(1956)】 | 渡島支庁が五稜郭に移転しました。 鹿部稲荷神社移設にともない忠魂碑も四度目の移設。 国鉄「鷹待」駅の名称が7年ぶりに「鹿部」駅に戻されました。 |
【昭和34年(1959)】 | ミンクの飼育事業が始まりました。 |
【昭和35年(1960)】 | 有線放送が始まりました。 鹿部~本別間に新道路が完成。 雨鱒川と精進川の硫黄鉱山が廃鉱。 青年研修所開設。 |
【昭和40年(1965)】 | 小学校で給食がはじまりました。 昆布礁復旧記念碑建立30周年記念式典が行われました。 「広報しかべ」が創刊されました。 |
【昭和42年(1967)】 | 鹿部飛行場の滑走路が完成。セスナの初飛行が行われました。 すけそうたら供養塔が建立。 |
【昭和43年(1968)】 |
5月16日十勝沖地震 鹿部では津波が観測されましたが干潮時だった為被害はあまり出ませんでした。
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【昭和46年(1971)】 | 村役場が移転、新庁舎が完成しました。 |
【昭和47年(1972)】 | 北海道立栽培漁業センター発足。 |
【昭和48年(1973)】 | 鹿部温泉観光協会設立。 |
【昭和54年(1979)】 |
鹿部村開基100周年。 ミス鹿部コンテストがはじめて開催。 |
【昭和58年(1983)】 |
6月、村議会で「鹿部村」を「鹿部町」とする事を決議、 |
【平成2年(1990)】 | 鹿部公園が完成。 |
みんなで作る鹿部町の歴史 募集要項
投稿先
鹿部温泉観光協会
〒041-1402 北海道茅部郡鹿部町字鹿部130-1鹿部商工会内
「みんなで作る 鹿部町の歴史」係
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